ホメオパシーの始まりは「ポプリ」から

      2017/08/11

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どんなことにも始まりやきっかけがありますね?

 

もしかしたら、私のホメオパシーへの道はここから始まっていたのではないかな〜と思います。

 

こんばんは、東京スクールオブホメオパシー代表の黒澤今日子です。

 

東京神楽坂でホメオパシーの学校を運営しています。

 

幼い頃の植物の記憶

 

あなたの中にある、最も古くて懐かしい植物の記憶は何ですか?

 

私の記憶は、幼い頃のあれは4才か5才になっていたかと、あまりにきれいで思わず口に入れてしまった真っ赤な唐辛子でした。

 

その衝撃と痛みに、母の膝で大泣きした記憶。

 

幼い頃に住んでいた家の、ほんのネコの額ほどの庭に咲く鮮やかな黄金色の山吹の花。

 

学校帰りを歩いた茶畑の匂い。そこに見つけたたくさんの大小のカタツムリ。

 

50年以上もの昔の情景が今でも鮮明に目に浮かびます〜!

 

そんな記憶って、みなさんの中にもありませんか?

 

胸が「キュン」とするような。。。?

 

幼い頃から木や花は、いつもでしゃばることなく近くにありました。

 

少女から大人へと月日が経ち、結婚をし、子育てが始まりました。

 

ポプリって知っていますか?

 

いつの頃からか「ポプリ」という不思議な言葉が頭のどこかに住みついて、気が付くと子育て真っ最中にも拘らずその世界に夢中になっていました。

 

「ポプリPOT-POURRI」とはフランス語から来ている言葉で、最初は料理用語として野菜や肉を混ぜたスープストックをとる「なべ」を意味していたらしいのです。

 

ポプリという言葉が一般的になったのは18世紀半ばであると言われていますが、

 

すでに香りのある植物は16世紀には流行病の予防や治療法として、家の中を清浄にするために燻蒸などで用いられていました。

 

それがさらにヨーロッパ文化の中で、香りの良い植物のミックスを意味する言葉として定着してきたようです。

 

ポプリは生活や健康に役立つだけでなく、さまざまな植物を混ぜ合わせて統合させた香りの創作であり、芸術となりました。

 

またその時代には、言葉の代わりにその香りに思いをしたためることで手紙の役割を担ったこともあったと言います。

 

現代の携帯電話やインターネットの時代からは考えられないくらいの想像力の世界がそこにはあったのですね。

 

ポプリにはその背景に文化や歴史があり、移ろいゆく植物の色や香りを楽しむロマンがあります。

 

残念ながら大量生産、大量消費、合理主義のスピードの時代には手軽な合成のポプリが重宝され、本来のポプリの素晴らしさを受け入れる土壌が薄かったように思えます。

 

そんな今、今までのような効率化を追及してきた時代から価値観のパラダイムシフトが起こり、ライフスタイルだけでなく生き方そのものを問われていく時代にこそ、

 

もしかしたら18世紀のヨーロッパの時代とはまた趣を変えた姿で本来のポプリを楽しめる時が来るかもしれないと思うのです。

 

もしかしたら、ポプリの香りを本当に楽しむ時代はこれからなのかもしれないな〜などと思います。

 

ハーブの時代到来

 

ポプリに没頭する中でハーブという植物の存在を知りました。

 

今でこそハーブは誰でも知っていますが、その当時は非常に新鮮で、初めてこころから植物を育てる喜びを知り、毎日土と風と太陽とハーブの生気に包まれる豊かな生活を送っていました。

 

生きている香りの世界に驚き百種類以上ものハーブを育ててみました。

 

日本での外来ハーブの流行はハーブキャンディーのような嗜好品から始まり、その後自然の良さを生活に取り入れていくようなライフスタイルの提案という方向に発展していきました。

 

遡れば、人間はその誕生からさまざまな形で植物の恩恵を受けてきたのですね〜

 

医学の父と言われる古代ギリシャのヒポクラテスや、同じくギリシャの哲学者であるテオフラストスも、紀元前1世紀のローマの傑出した著述家であるプリニウスもまた、

 

「全集」や「植物誌」、「博物誌」の中で植物についての可能性をその時代背景の中で述べており、

 

それらは時代のかび臭さを払拭するほど興味深くまた現代においても決して新鮮さを失うことがありません。

 

その後16~17世紀のヨーロッパはハーブ全盛期でありました。

 

多くのハーバリストが活躍した時代であります。

 

またその頃、イギリスの劇作家で詩人でもあるシェークスピアの約37編の戯曲の中にも多くのハーブが登場しています。

 

その中にはホメオパシーのレメディの原材料となっているものも数多いのです。

 

シェークスピアはロンドンに住んでいるときにジョン・ジェラードというハーバリストと親交があったのではないかと伝えられており、彼の戯曲に使われている植物の知識の出所はそこにあったのではないかとも言われています。

 

そのくらいシェークスピアの戯曲では植物が巧みに使われ、物語にスパイスを効かせています。

 

人間はこのようにさまざまな形で植物を利用し、歴史や文化を創ってきたんですね。

 

ところが18世紀のイギリスに始まった産業革命による工業や化学の発展が、科学に対する絶対的な信頼を集めこととなり、それとは反対に人々を自然を軽視する方向へと向かわせていったのです。

 

日本ではその後ハーブの流行からまもなくアロマテラピーが脚光を浴びるようになり、多くの人たちが精油の持つ力強い香りに圧倒され、植物の持つ新たな可能性に衝撃を受けました。

 

子どもの病気がきっかけでホメオパシーを知ることに

 

そしてそんな植物の世界に没頭している頃、ある時子供の病気がきっかけでホメオパシーを知りました。

 

なんとその世界にもまた植物があったのです。

 

いつも植物は趣きを変えてわたしのそばに登場します。

 

ポプリやハーブの源泉が人の健康を守り病を癒すことであったのだから、私の植物への関心が人の心身を癒すホメオパシーへと向かっていったことはごく自然なことであったように思うこのごろです。

 

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東京スクールオブホメオパシー代表

(株)スタンダードホメオパシー代表取締役 黒澤今日子

東京都新宿区天神町64神楽坂アトリエ64 2F(地下鉄東西線神楽坂駅矢来町出口より徒歩4分)

℡ 03-5227-8305

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